第三Chapter 反作用

      反作用        

 

01・常に発生している“見えざる(力)”
02・身体の構造的“反作用”
03・反作用を活用できる身体
04・身体の使い方
05・小胸筋
06・呼吸で緊張を緩める
07・手でなく肘関節を使う!
08・千 尋(Tihiro)
09・外回し(千 尋)
10・内回し(千 尋)
11・五五拾で和をする
12・滝 落   Takiotosi
13・手 解(A) Tehodoki(A)
14・手 解(B) Tehodoki(B)

   ・常に発生している見えざる(力)

 第五Chapterでご紹介する「点・線・面」には“反作用”を利用して法
とするものが沢山ある。
本編ではこの“反作用”について言及してみたい。
「ある者がある方向に(力)を生じさせれば、必ずその動作を主に反
対方向の同じ大きさの(力)が同時にかかっている」これが“反作用”
であり地球上でも宇宙空間でも成立する、不変の原理だ、しかしこれ
ほど、見過ごされている(力)もないのではないだろうか?
 まさに“見えざる力”の最たるものだ。だから(力)はペアで現れる
それが反作用であるが、相手のないときは働くことはない。
 しかし、リンゴと地球は話にならないほど質量に違いがあるが、作
用反作用は変わらない。“やわら”ではこれを大いに利用する。
“作用”と“反作用”は、逆向きで、同一の腺上にあるが、大きさは等
しい「ニュートンの第三法則」として、次のように定義されている。
「物体Aが物体Bを押す(力)があれば、必ず物体Bが物体Aを押す
(力)がある。そして、これらの(力)の大きさは同じである」「押
す」と表現したが、「引く」場合もまったく同様だ。
例えば物体A自分自身、物体Bが壁だと仮定する。手で壁を押す。
この時、壁も自分の手を押している、と言うことだ。「意思のない壁
が手を押す」のは変な感じがするかもしれない。しかし、こんな風に
考えてみる。
    一図 壁を推す    二図 反作用が起きた時の壁

壁を(力)一杯、押す。すると手がへこむ。なぜへこむのだろうか?
これは手が反対方向に(力)を受けてるからに他にならない。もし手
が押されていないなら、へこみはできないはずだ。
この、作用力を発生させることによって同時に発生する反作用は常に
発生している。この“常に”と言うところを不思議に思う方もいるかも
しれない。
人はこの地球上で目にする運動を、どうも一方的な仕事のように思い
がちなところがある。例えば地面にある重い石を押して移動させると
する。自分が石に(力)を加えて、結果として動いたのだ。自分がし
た仕事だ。
それ以外何もないではないか。しかし、石も確かに自分に(力)を加
えているのだ。
(力)は実は一方的ではない。見える(力)の陰に必ず見えないエネ
ルギーが潜んでいる、それが“玄”だ!
壁押しを、スケートボードに乗って行うと、体が後方に持って行かれ
ることで“反作用”を実感することができる。つまり、体が安定してい
るかしていないか、で現象は出たり出なかったりするものだ。

   ・身体構造的“反作用”

 前項で紹介したものがいわゆる“反作用”だが、これ以外にも見えざ
る反作用力がある。もう一度壁押し運動にご注目いただきたい。この
「壁を押す」という動きは、腕に着目するならば、肘を伸ばす動きだ
筋肉で言えば、上腕三頭筋を収縮させる動きだ。上腕三頭筋を収縮さ
せれば、肘が伸びて前腕より先が前に出る、しかしこの“上腕三頭筋収
縮”は、上腕部より後ろの部分を後方に送る作用も同時にもたらしてい
るのだ。
つまり、“上腕三頭筋収縮”は肘を中心に、肘より前の部分を前方に肘
より後方の部分(体幹含む)を後方に送る(力)を同時に生み出して
いる。
(力)とはこのように、発生させれば必ずこのように背反する2系統
が同時に生まれてしまう性質のものなのだ。
突きを放てば前方向きの大きな(力)が生み出される、というのは表
面的な思い込みにすぎない。
(力)を与えれば同時に逆に加えられ、動けば動かされる危険を包含
している、と言う事は、常に心得ておかねばならないのだ。
“やわら”では、筋力で形を作ろうとすれば“反作用”が起きて自分自身
を崩す結果になってしまうことを知っているから、剛強の形を避け柔
弱の“象り”を選ぶのだ。
普通に、ものを手で押すときは、上腕三頭筋を使って押すが“やわら”
では、(力)の方向性に、 脊髄の関節を使いながら肘関節を使うそれ
を“勁”と言うが“やわら”では“玄”のエネルギーと言う。
 また、逆に言えば、相手がどんなに強大な(力)を放ってこようと
もそれに(力)で対抗しようとして破壊されてしまうような愚を犯さ
なければ怖くない。
 相手が体重100キロの体の持ち主であろうとも、それを崩すには
100キロの物体を動かす筋力が必要、という訳ではない。“反作用”
を利用すればいい。その元は、相手自身がこしらえてくれるからだ。

   ・反作用を活用できる身体

相手がおおきな(力)で働きかけてきても、自分が“壁”ならば、容易
なく跳ね返すことができる。同程度以上の(力)で対抗しなくて容易
なくと言っても決して過言ではないだろう。
ではどうすれば“壁”になれるだろうか?
 全身力んで硬く固めて“壁”のようになろうと言う身体操作を思い浮
かかべた方もいらっしゃるかもしれないが、それはもちろん、最大の
愚だ“壁”になると言っても、硬くなろうと言う話ではない。動かされ
難くなるには、と言う話だ。自分が動かされないのならば(全体を緩
めて)相手を動かすしかないのだから。
 例えば、丈夫で大きなビニール袋にトータル50キロのブロックを
乱雑に詰め込んだものと、水を50キロ詰め込んで入り口を縛ったも
のがあるほんの少しでいいので、すぐに移動させたい。
 動かしたいのはどちらだろう?
 丸ごと持ち上げてそっくり移動させるなら、同じ重さなのだからど
ちらも結構大変化もしれないが、少しなら、ブロックの方は崩れを利
用しながら動かせるだろう。部分部分で動かしていくやり方も可能だ
ろう。これはいわば力んだ体の状態だ。部分部分で力みあって、身体
のパーツが硬くてバラバラ。
 一方、水を詰め込んだ袋の方は。底がべったりと床に密着して大き
な摩擦力を発生させているのみならず、全重が漏れなく一挙に底にか
かっている。これは、ちょっとやそっとじゃ動かせない。こんな体に
なればいいのだ。ではどうすればいいか、改めて注意していただきた
いのが、反作用力を利用するには、硬い“壁”のようになって跳ね返そ
うとするのではない言うことだ。
 反作用力は、跳ね返した(力)ではない。目に見えた(力)の裏に
常に、必ず存在しているものなのだ。そうして、それを利用するのは
それほど難しくはない。自分が揺らがない状態でいればいいだけだ。
それこそが難しいとも言えるのだが。自分が揺らがない状態で在るた
めには?“壁”を押して、反作用をつくるのではなく、柔らかく触れて
逆に揺らぐことだ。
 その意味は、人は必ず地を踏んでいる、それだから“壁”と同じ状態
であると言える、だから反作用力となる。ただし、地を踏むときは足
の親指は地に触れていても親指で踏なまいように注意することだ。
 右の足を面にしたときは左足も面にするそれも柔らかく地を踏むで
すから、相手の動作に(力)を感じたときは、体を緩め「膝で相手の
(力)を地に返す」ことで「作用点」となり、相手が自分の(力)で
“反作用”が起きる。だから“反作用”とは自分を映す鏡と同じだ。
 いずれにしても、総ての人は自分の行動で、反作用で倒れることを
知っておく“象り”も、とにかく負けることで“反作用”が起きることが
ない改めて、これが“やわら”の真理だ。
 私は自分の周りにある帯などをつるし、その帯に手を柔らかく触れ
帯を揺らさないで、自分自身が、逆に揺れることをする。
前後は、前後に揺らぐ。その在り方で、自分が“壁”と同じ状態になれ
るのだ。又、両手を掌にして空気を相手にパントマイムをするように
空気に負ける事が一番いい、あるいは、お手玉を右掌に載せ、肘で上
方へ上げ、そのお手玉を左の掌に落とす、その瞬間、小胸筋を緩める
これを左右繰り返して遊ぶうちに豊かな感性を作り上げてくれる。

      ・身体の使い方
 何もしない状態で、ただ力まないでいる、と言うのも、難しい人に
は難しいのだが、より一層難しくなるのが“何かしよう”とした時だ。
本書でも最初から“力まないように”と口説いているつもりだが武道に
ある技は “形”で投げようと力んでしまうのが人の性と言うものかもし
れない。
 人にはそれぞれクセと言うものがあるが、それは投げよう、投げよ
うと力んでしまうから、ほとんどの人がここに来る、と言うポイント
がある。それは“小胸筋”だ。武道はとくに、いや武道でなくともそう
なのだ。人は“何かしよう”とする時は大概手で何かするものだ。手を
動かそうとするものだ。
 上腕や前腕の筋肉はもう少し後の段階で緊張することが多いが
“小胸筋”は何かしようと思うだけで緊張してしまうことも少なくない
“小胸筋”が緊張してしまうと、それだけで肘の動きを著しく阻害して
しまうこととなる。
“小胸筋”が緊張してしまうと心気が上がり大胸筋も固まり、呼吸も不
自由になって、さらに緊張を呼ぶ悪循環に陥ってしまう。
武芸やスポーツでなくとも、例えば何かスピーチをしなければならな
いとか、そう言う直前に呼吸も不自由に感じるくらい緊張してしまう
場面があったら、確かめてみるといい。そんな時は。小胸筋は肋骨と
肩甲骨を繋ぎ、肩甲骨および胸の動きに大きく関与している。ここで
呼吸を考えてみよう。

     ・小胸筋

 


       ・呼吸で緊張を緩める

・“小胸筋”の緊張を感じたら、ぜひこの方法を試してみてほしい。
すぐに緊張が緩み楽になってくるのが感じられると思う。
この“小胸筋”の緊張を解くのは、肘や膝の使いにも関わる、いわば体
の前提を作るものだ。
(一図)“象る”中で(力)を感じたときは脊椎の“核”に気を置き、両
    手を肩の高さでだらんとダレて肘を上下に振ると “小胸筋”も
    緩みリラックスになるものだ。

        ・呼吸法は核で行うYouTube

(二図)自然体で立ち、両手を左右に垂らす。
(三図)息を鼻で吸い肘を内へ捻りながら両手の掌を外へ向ける、
(四図)鼻で濁を吐き肘を外へ捻り戻しながら両手の掌を股に付ける
(二図)~(四図)まで3回行い(五図)~(八図)の象りで緊張が
    解ける。 

(五図)鼻で息を吸いながら両手先を重ね
(六図)口元へ空気を当てるように運び
(七図)手先を地に向け磨りながら廻し
(八図)息を鼻から吐く続けて口から汚れた空気をはっと吐き出す。
    この呼吸法はすべて核で行う。
    第八Chapter象るエネルギーは呼吸を参照

      ・手でなく肘関節を使う!

 “小胸筋”を緩める大前提ができても、いざ手足を使う段階になって
くると、それはそれでやはり力んでしまう。一生懸命やろう、より大
きな結果を出そう、更に投げようとすればするほど力んでしまうもの
だ。まずいのが“末端”を力ませてしまうことだ。
 相手を掴んだらその手をギューッと握り込んでしまう。そう言うこ
とをやってしまうほどに体は不自由になっていく。
末端を力ませてしまうのは、実は不自然な操作だ。そんな必要もない
のにやってしまう、ことの最たるものだ。
例えば、食事をする時に箸を持つ手は力んでいるだろうか?
おそらく子供の頃、使えるようになるかならないかの時分には力んで
いたかもしれない。大人になった時はそれは当たり前に使えるように
なる。しかし、不思議なことだが、今でも、箸を持つ時の手は必ず力
んでいるが後の行動は、必要最小限のエネルギーで箸を自由自在に使
っている。
 必要最小限のエネルギーだからこそ、自由自在に操れるのだ。
 手を使うには肘を使うことだ。足を使うには膝を使うことだ。その
時は大概、手足は上に挙げる、その挙げる手足を(力)で挙げず、膝
や肘の作用で挙げる。挙げた手足は挙げた場所より下がるくらい、
(力)を入れていない事を覚える。
その心得は、手は肘の道具、足は膝の道具だと思う事が大事である。
また食事の時は、身体のどこを使っているか、自分自身を観察してみ
てほしい。手首や前腕ではない。脊椎から肘だ。
手を使う時は肘を使い、足を使う時は膝を使う、と言うのが不要な力
みをなくして、自然な“象り”が可能な体動を実現し、かつ水を湛えた
袋のごとく揺るぎない、“核”を中心に全身が繋がった身体を維持する
ためのポイントが肘、膝だ。
 赤ん坊がまだ歩けも立ち上がれもしない頃、まず始めるのは肘、膝
を使ったハイハイだ。
 筋力も、よけいな意識も先入観も生まれる前に始める原初行動が肘
膝を使うことなのだ。
皆さんは、普段ドアーを開けるときは、手でノブを掴み手でノブを捻
るでしょう。これからは、ノブを柔らかく掴み、肘を捻る事だ、これ
が平常の稽古となる、チョツト、アドバイスまで。
人間の“核”は命門と陽関の間にある。ここを中心で在らねばならない
しかし“核”はそれだけでエネルギーを生み出し肘や膝を使うことはで
きない。関節の使いが必要だ。必ず脊椎の関節を通して肘関節、膝関
節を使うことが常だ。
 手先、足先は後天的な“道具”と心得るのが良い。肘、膝を使う、と
言っても肘や膝に(力)を入れる、と言うことではない。肘関節、膝
関節、身体も柔らかく、いつも“核”を中心に気を置き十分に肘、膝を
働かせられる状態であることだ。
 その働かせるときは、肘は引いてはダメ。肘は必ず曲げる、曲げる
から真っ直ぐになる、真っ直ぐになるから、曲がる、だから肘は伸ば
す、曲げる、捻るこの三点しか使わない。
曲がるから、真っ直ぐになる、この言葉は道教の老子の「柔弱は剛強
を制す」と同じ意味合いが含まれている。だから、肘、膝を使って、
手と言う道具で相手を推すと、相手が空気に推されて落とし穴に落ち
たように感じると言うことだ。
しかし“やわら”の優しさは“象り”だけではない、肘、膝関節を動かす
エネルギーの円運動だって同じに優しさが行われ、そして、人の体の
全ては螺旋で構造されている。その動きは螺旋なのだ。 
 例えば、あたまの旋毛も螺旋になっている、口から肛門に至る消化
管も真っすぐではなく螺旋にねじれている。また、筋肉の全身も螺旋
で包んでいる、その螺旋(旋毛)で、肘関節を捻たり、伸ばしたり、
縮めたりして振動させる、つまり、優しさがあるから“象り”も美しく
見えるが「人は螺旋構造だから共振しやすいということだ」心得なけ
ればならない。
 しかし、その螺旋も、千尋(円)には負ける、この大宇宙も円を描
いている!

      ・千 尋

千尋は、渦でも、旋毛でもないが、ブラックホールに似ていると私
は思っている。渦も、旋毛も定義が無いようだが、千尋は円だ!
だから変化は出来る、時には渦のように縮まり、また、旋毛のよう
にも広がる事もあるが、実際に千尋は螺旋運動を、封じることを可
能にしている(人の体は螺旋状)だから千尋は、円であるから人の
バランスをすぐに崩すことが出来るから総ての“象り”に欠かすことが出来ない。
勿論“象り”は左右の四種類である。その、左右の千尋とは、左側に
右回ししと左回し、右側に右回しと左回しがある。
そして争いというものは正面で戦うものであるから、推された時と
突かれた時に“象る”方法に違いが生じる。即ち景色の違いである。
また、推された時は全身を緩めながら千尋を描きながら相手を投げ
る。ぶつかってくれば、弾き飛ばす。
また、景色によっては外廻しの千尋にするか、内廻しの千尋にする
か、象り方が違ってくる。その千尋を描くには、簡単にいえば腰を
後へ廻しながら千尋を描くだけで、左側に捌くか、右側に捌くか、
相手の打拳を右手で取るか、左手で取るかの違いと同じく、その左
右の四種類である。 何か物足りないな?
それは相手が我が体に触れて掴んで曳くか、又は、推してくるかで
“象る”方法に違いが生じるが、何時でも千尋は描く事から始める。
何にせよ、相手は(力)づくしで来るから小胸筋を緩めて、千尋で
答えて上げると、相手は勝手に反作用で崩れるから面白い。
それから千尋は渦や旋毛などとは根本的には関連性はないが、千尋
の使い方次第では渦を使うこともある。

 さーて、次は、千尋の使い方を稽古しょう 。

     ・外廻し千 尋 YouTube

                               (一図)自然体から“核”で右肘を内側から丸く振り上げ(掌は上向
    き)水平に描く
(二図)肘で手を捻りながら丸く開き(掌は下向き)
(三図)肘を丸く右腰の後へ引き
(四図)右腰を入れながら肘を捻り
(一図)の“象り”に入る。
・自分が描くリング上から見た図

・緑色は“核”で描くリング(二図)の処から始まる

       ・ 内廻し 千 尋

                               (一図)自然体から“核”で右肘を外側から丸く振り上げ(掌は下向
    き)水平に描く
(二図)肘で手を捻りながら内側に丸く回し
(三図)肘を丸く右腰の後へ引き
(四図)右腰をいれながら肘を捻り(掌は上向き)
(一図)の“象り”に入る。

・自分が描くリング上から見た図

・緑色は“核”で描くリング(二図)の処から始まる

                                              

     ・五五の拾で和をする

 次のページで、肘、膝の使いようによって“強くなる”感覚は、手を
掴まれた状態から押さえ込んでもらう。この時、手先を使う意識で耐
へようとしても、“筋力比べ”になって崩されてしまう。
 それは小胸筋を緩め肘関節で千尋を使う意識でやってみてほしい。
「逆に押し上げてやろう」などと頑張る必要はない。
 手先に比べて肘は、そんなよけいな気持ちが生まれにくいのだが。
とたんに崩されにくくなるだろう。まったく崩されない自分で在れれ
ば(力)で押え込もうとしてくる相手の方が必ず大きく崩れる。
“反作用”の効果だ。
硬く弾き返そうとしなくとも、“見えざる(玄)が相手を崩しくれる。
それが千尋だ。
押し込もうとしてくるのに対して、押し返そうなどとしなくていい。
緩めていればいい、そして膝関節から相手の(力)を地に返せばいい
押し返そうとするのと緩めて地に返すそうとするのでは、体の遣いが
まるで違う逆に引っ張り込まれようとしても同じだ。
 引っ張り返そうとしなくていい。緩めていればいい、そして、その
関節を揺るめれば、相手は勝手に“反作用”で身体が崩れる。
その理は、相手が7の(力)の時は、3のエネルギー“玄”で
(7+3=10)和をすることだ。
和をすることによって、相手が(力)を入れたときは必ず反作用が起
きる。前にも述べたように、(力)は剛強である、“玄”は柔弱である
から(力)関係はきらうのだ。
結局(力)を用いれば、身体の手足に至るまで凝り固まり、死物と同
じだから、“象り”を覚えることも景色を見ることも出来ない。
 手は肘より先に進むことがない。足は膝より先に進むことがない。
これは我が流儀の心得だ。肘は肩より上に上げない。肘を肩より上に
上げると“玄”のエネルギーが消えて小手先の(力)に変わる。
 更に肘は引かない、引くと相手に押される、そして肘は伸ばす事と
屈する事と、捻る事との三ケの行動以外は行なわない。
ゆえに、手足に(力)を入れて事を行えば、肘や膝が滞り、“核”の意
識が僧帽筋に上がり持続性が乱れて(力)に偏り、相手の(力)を聴
経する事ができなくなる、その時は小胸筋の緊張を緩める呼吸法が肝
要である。
……………ちょっと一息入れて、その(手解)をして見よう。

      ・滝 落 Takiotosi YouTube

                               (一図)(受方)右足を進めながら右手で捕方の左手を掴んで引く
    (捕方)其の瞬間、千尋を描きながら受方の右手の外側から
        掌を上に向け上方へ廻し上げ同時に捻って掌を下に
        向け
(二図)    左手を捻り戻しながら受方の右手に上から柔らかく
        掛け同時に右手を受方の左肩に当て
(三図)    受方の右手を圧しながら千尋を描き我が左横へ落と
        す。

     ・手 解 (A)(tehodoki)YouTube

                               (一図)(受方)右足を進めて右手で捕方の左手を取って引く、
(二図)(捕方)其の瞬間、玄で内側から千尋を描きながら受方の右
        手の内側から掌を上に向けて廻し上げ


(三図)肘を捻りながら掌を下に向け外側へ円を描きながら
(四図)腰へ引き同時に掌を上に向けて捻りながら
(五図)受方の右手を取り受方の腹部へ当て同時に右足を進める。

   ・手 解 (B)(tehodoki)YouTube


(一図)(受方)右足を進めて右手で捕方の左手を取って引く、
    (捕方)其の瞬間、核で内側から千尋を描きながら受方の右
        手の内側から掌を上に向けて
(二図)    肘を上げながら受方の右手に当てるように出して解
        脱をなし
(三図)    肘を引きながら受方の右手を取る。

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